君と同盟



Priceless


ミケランジェロがへそを曲げた。
未だあどけなさの残るこの兄弟は、これまでにも時々、些細なことで機嫌を悪くしていたが、それは大抵、彼が空腹のときや眠たいときであって、彼の欲求が満たされるのを待ってから、何か甘い物のひとつでもくれてやればすぐに仲直りできるような可愛らしい拗ね方であることをドナテロは知っていた。
しかしどうやら、今回は様子が違う。


事の発端は一週間前の寝室。
いわゆる甘いムードになって、いざ甘い行為に突入せんとしていたときのことだ った。
ミケランジェロは上機嫌で、触れてくるドナテロの指先をくすぐったがってはあれやこれやと世間話に余念がない。
普段からよく喋る彼を散々甘やかしてきたのはドナテロの方だったが、口付けていないと回り続ける舌にいささか閉口して、うっかり口を滑らせた。
「ちょっとは黙りなよ、マイキー。色気がないなぁ」
回っていた舌がぴたりと止まり、しまったと思ったときにはもう遅かった。
思えば、彼の饒舌は機嫌が良い証拠だったのだ。
閉じられた唇がみるみるとがり、不機嫌を全身で表現しながらミケランジェロはドナテロの上体をぐいと押しやった。
「じゃあもういいよ」
その一言を最後に部屋を去ったミケランジェロのご機嫌ななめぶりは、以来一週間続いている。


最初の3日間は、甘い物にもつられなかった。4日目には半ば押しつけるようにして渡したチョコレートを食べてくれはしたものの、相変わらずろくに口もきいてもらえない。
それならばと甘いムードに持ち込もうとしたが、「色気がないおいらとしたって、つまんないでしょ」と切り捨てられた。
そして、その「おあずけ」状態は会話が戻った今も継続している。
このままこの状態が続けば、ミケランジェロは必ず折れることなど目に見えていたが、それより先に、どうにも自分の方が音をあげてしまいそうだ。
今までにない兄弟の頑なさに、正直ドナテロは手を焼いていた。


片付かない自室でコンピューターのディスプレイを睨みつけながらも、不意に思い出されて心をふさぐのは、へそを曲げた兄弟のこと。ついでに言うなら、現在絶賛格闘中のメカの開発もすっかり煮詰まってしまった。
「あー……まいった!」
うまくいかないときってのは、どうにも全てがうまくいかない。
ドナテロは椅子の背もたれに体を投げ出して、ひとり降参を宣言した。
吐き出した弱音と溜め息に応える者はもちろんなかったが、首を反らせて仰向いたドナテロの目に、とある薬品の小瓶が映る。
溜め込んでしまった資料やら部品やらが詰め込まれて混迷の相を呈している(本来は)本棚(であるはずの棚)の、一番上の右すみに、その小瓶は追いやられていた。
(あれは、確か……)
そう、確か、以前自分が偶然に作り出してしまった興奮剤。まぁ、いわゆる媚薬。
(前にレオナルドが誤って飲んだことがあったっけ……難を逃れたものが、まだ残ってたのか)
瓶に3分の1ほど残った液体は、雑多なものに囲まれて光を反射せずに暗く、どろりとしているように見えた。
(ああ、マイキーが拗ねていなけりゃ、使ってみるのにな)
自分の中にもどろりとした感情が沸き起こる。それに気付いてしまったが最後、それはふつふつと次第に肥大化していった。
ご機嫌ナナメのマイキー、一週間おあずけ状態の自分。でも、マイキーだって一週間ご無沙汰のはず。

飲ませたら、どうなるかな。
両極端のどちらかに振れるであろうことを予測しながらも、好奇心とほんのわずかな苛立ちを抑えきれず、ドナテロは棚の小瓶を取り上げた。



ミケランジェロはリビングのソファに陣取って、ぽかんとした呆けた顔でテレビに見入っていた。開きっぱなしの口の端に、スナックの食べかすが付いている。
目だけがきらきらと輝いて、熱心に画面の中のアニメヒーローを追っていた。
以前、ミケランジェロに付き合って何度かそのアニメを見たことはあったが、はっきり言ってドナテロには、これの何がそんなに彼を惹きつけるのか理解しがたかった。ぴらぴらのマントで非現実的に空を飛ぶよりも、現実に亀でも飛べるメカニックを考案した方がどれだけか楽しいだろう。そうは思うが、それを正直に伝えて兄弟の機嫌をますます損ねるほどドナテロも愚かではない。
彼の熱中の邪魔をしないよう、出来るだけ気配を消してテレビにCMが入るのを待ち、そっとソファのそばに立つ。
ミケランジェロは横に立ったドナテロを見上げて何か言いたそうな顔をしたが、拗ねていることを思い出したのか、わざとらしく、ふいっと顔を逸らせてみせた。
コトリ。
何も言わずに、ミケランジェロの前にアイスココアのグラスを置く。甘ったるいそれは兄弟の好物だったが、今日のはさらに特別だ。
内容物は、言わずもがな。
「……」
ミケランジェロはまた何か言いたそうな顔をして、しかし無言でグラスを取り上げる。
ちびりと一口、飲んだ。
つい凝視してしまいそうになるのを堪えながらも、湧き上がる、この抑えきれない好奇心と興味は、研究者としてのものだけではなかった。
ちびりちびりとグラスの中身をすする兄弟を横目に見ながら、ドナテロは彼の隣に腰を下ろす。
ますます何か話したそうな顔をしたミケランジェロだったが、そこでちょうどCMが終わったので、彼の熱意は再びアニメに戻っていった。



30分アニメの残り15分が終わるころ、エンディングテーマが流れ出したころには、ミケランジェロの前に置かれたグラスはすっかり空になっていた。
と同時に、ミケランジェロ自身もアニメどころではなくなっていたようだ。最後の5分間は、あれほど夢中になるアニメにも、まったく集中できていなかった。
「……マイキー、具合でも悪いの?」
我ながら白々しいなぁと思いながら、俯き加減のミケランジェロの顔を覗き込む。
「ドナ…ちゃ~ん……」
赤い顔をして、少し充血した目を潤ませたミケランジェロは、顔を覗き込んだドナテロと目が合うと堪えきれないと言わんばかりに泣きついた。
「どしたのマイキー、僕とケンカ中だったんじゃないの」
ああ…たまらない、可愛い。
すがりつくミケランジェロを本当はすぐにでも甘やかしてやりたかったが、一週間おあずけの恨みを込めて、少し意地悪に突き放してみる。
「ド、ドナ…ちゃ……」
しかし、普段とは違うミケランジェロのかすれ声を聞いた途端に、ドナテロの抵抗は白旗をあげた。結局、自分はミケランジェロに甘いのだ。
「マイキー、大丈夫?」
ドナテロの左手をきゅっと掴んで震えているミケランジェロの肩に、そっと手を置く。反射的にびくりと揺れた肩に気をよくして、そのままミケランジェロを引き寄せた。
「あ、う……」
たったそれだけなのに、ミケランジェロは見事なまでに反応を返す。
いやはや、偶然の産物とはいえ、我ながら凄い薬を作り出してしまったものだ。
もう一度同じものを作れるだろうか、作り方をメモしておけばよかった、などとドナテロが他事を考えていると、抱き寄せたミケランジェロが痺れを切らしたようにぐいぐいと胸元に鼻をすり寄せて、続く行為を催促してきた。
親に甘える動物の仕草にも似ているが、ミケランジェロの吐く息は熱を帯びて熱く、親に甘える子どものそれとは明らかに違っている。
もともと快楽に対して素直なミケランジェロは、気持ちのいいことが大好きなのだ。ふと、このまま放っておいたらどんな行動をとるのか、興味が湧いた。
「本当にどしたの。マイキー、なんか変だよ?」
「ん、んん……!」
抱き寄せた姿勢のまま、手は触れずに耳元に囁きかける。
「ド…ドナちゃ、おいら…何か、変かも……!」
そう言うやいなや、ミケランジェロは両手でドナテロの頬をはさんで、唐突に口づけてきた。
勢い余って互いの歯が衝突したが、ミケランジェロはお構いなしで、さらに深く口づけてドナテロの舌を探る。
「ちょ、マイキ…んんっ」
突然のことに驚いて目を丸くするドナテロに対し、ミケランジェロはいつにない積極性を発揮して、ひたすら快楽を追い求めていた。深く深くと口づけながら、焦れったそうに下半身をすり寄せてくる。
「んっ、あ……ドナ、テロ」
薬で無理に高ぶらせられたミケランジェロはもとより、ドナテロも一週間おあずけを食らっていた身である。扇情的なミケランジェロの姿は、非常に目の毒だった。
放っておいたらどうなるのか、などという先ほどの考えは、またもあっさりと白旗をあげて、ドナテロはミケランジェロの後頭を掴むと、自らも深く、ミケランジェロの口内を探った。
「ん、んんっ」
薬のせいだろうか、ミケランジェロの口内がいつもより熱く感じられた。
舌先で上顎を撫でてやると、ミケランジェロの体から力が抜ける。涙の滲む赤く染まった目尻に口を寄せながら、彼の下半身にも手を伸ばした。
「ひ、あっ!」
一際高い嬌声をあげて、ミケランジェロの身体が強張るのを感じた。
「あっ、あ、やだ、ドナっ…いや、だぁ!」
「……マイキー…!?」
ドナテロは再度目を丸くすることになる。
やんわり2、3回擦っただけ…なんだけど。
ちょっと早すぎない?
「う、わ…ごめん、ドナちゃん…」
ミケランジェロ自身これには驚いたらしく、戸惑った表情で弁解するかのようにふるふると首を振った。
「な、なんでだろ…ごめ、恥ずかし…」
「……いいよ」
良いも悪いもドナテロの薬のせいなのだから仕方がない。ただ、想像していた以上にてきめんな薬の効果に驚いただけだ。
ソファの上で向き合う形に座り直し、狼狽えるミケランジェロの首に手を回してなだめてやる。
「ひ、う……」
首筋もいつもより熱い。
脈の早い頸動脈に沿って舌を這わせながら膝頭で彼の股間を探ってみると、そこは早くも硬さを取り戻していた。
「ん、やぁっ!」
首筋に吸い付いたまま、膝でぐりぐりと刺激を与える。
「うぁ、ちょ、ドナ、やめっ……!」
仰け反った喉仏に最後にがぶりと噛みついて、彼から離れた。
「う……え?」
突然失われた刺激に、ミケランジェロは困惑する。
「ん?」
「な…なんでやめるのさぁ…!」
「やめてって言うから…」
「そ、それは…!」
言葉のあやなのに、とかなんとか呟いて涙目になっているミケランジェロが、たまらなく愛おしい。
「触って、ほしいの?」
ソファの肘かけの部分にゆったりと背中を預けて、少し離れたところから右足を伸ばす。触れるか触れないか、という距離で、足の指先で彼の股間をなぞってみせた。
「あ、うぁ……!」
根元から先端へ、足指でゆっくりと辿る。
「ちょっ…人の大事なとこを足で…!」
「……気持ちいいくせに」
焦らすかのようにゆるゆると足を動かすと、ソファの上にぺたんと座り込んだミケランジェロは、もどかしい刺激に喉をしならせて身悶えた。
後ろに手をついて上半身を反らした姿勢なので、自然、腰を突き出したような格好になっている。
そんなミケランジェロに、ドナテロも煽られる。
足指に纏わりつく彼の分泌液を利用して先だけを執拗にこねまわせば、ミケランジェロの腰がさらなる刺激を求めて揺れた。
全体を強く押し潰すように刺激すると、声をあげて腰を引く。
「あ…う、ドナちゃ…ドナ、ドナテロ……」
仰け反った喉がひくひく震えながら、うわ言のようにドナテロの名前を発した。
「マイキー……」
ああ、
愛おしいのだ、この兄弟が。
「……ミケランジェロ」
ふいに名前を呼ばれて、ふらふら漂っていたミケランジェロの目がドナテロを捉える。

視線が合う。
その時だった。


「―――いッ!!」

「……ドナテロ?」
突然右足を抱えて俯いたドナテロを、ミケランジェロは訝しげに覗き込む。
「っ……たぁ!足つった!」
「…………ドナ…」
なんとも情けのないことに、先ほどから妙技を披露していたドナテロの足指は慣れない動きに拒否反応を示したのだった。
それも、ここ一番というタイミングで。
「…………」
「ったたたた、マイキーごめん、ちょ、タイム」
「ドナちゃん……」
熱く潤んでいたミケランジェロの声音が急速に冷めていった。
それはもう、面白いほど急速な低温化。
はぁ、とミケランジェロが溜め息をつく。色を含んだ吐息ではなくて、呆れかえった嘆息だった。
薬で惚けた赤い顔のままだが、高ぶった気分に水をさされたミケランジェロの意識はすっかり覚醒してしまっていた。
「なにさ、ドナちゃんだって……色気ないじゃんか!」
ミケランジェロはそう叫ぶと、必死に足裏を解しているドナテロめがけてダイブした。
「ドナテロのばかぁ!」
「ご、ごめんってマイキー、いってぇ……」
思っていた以上に、ミケランジェロは「色気がない」と言われたことを気にしていたらしい。
ばか、ばか、と繰り返しながら、ドナテロの胸元に頭をすり寄せる。もはや軽い頭突きだ。
「ご、ごめんねマイキー」
右手で引きつる右足を押さえながら、左手でミケランジェロの頭を撫でてやる。
「マイキーごめん。色気ないことないよ、さっきのマイキー、色気たっぷりだっ た」
ぎろりと上目で見上げて、ミケランジェロは拗ねたように口を尖らす。
「水さしたのはドナちゃんでしょ」
「ご、ごめん…準備運動不足だったかな」
「許さないからね!」
「ちょ、タイムだって!」
「ダメー!」


それから後、すっかり主導権を奪われたドナテロは、てきめんに効き過ぎたミケランジェロの薬の効果が切れるまで、十分過ぎるほどに彼に付き合わされることになるのだった。



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