君と同盟



Ristorante delle Tartarughe


 ニューヨーク、マンハッタン島。
 世界の金融がここを中心に回り、世界中からモノも人も集まってくる都市。もちろんグルメもその例外ではない。アメリカのソウルフードであるハンバーガー、ホットドッグを始め、美食の代名詞のフレンチ、イタリアン、中華、最近注目を浴びている日本食、タイ、インド、トルコ料理、果てはどんなものか想像もつかないマイナーな国の料理を出すレストランまで、ここNYで食べられないものはないと言っても過言ではないように思われる。多種多様なレストランがあるために、どのレストランもあの手この手と客を引っ張り込もうと奮闘している。
 そんなグルメ激戦区に一風変わった店があった。どこがどう変わっているというと、《人間》の感性に照らし合わせると往々にして変わっているとしか言いようがなかった。そもそも立地がおかしい。何の変哲もないアパートメントの半地下から、にょきっと路面に飛び出した《Cowabunga! ↓》の赤いネオンで作られた看板。それに従って「カワバンガ」とかけ声勇ましく、路面にぽっかり開いた穴に飛びこむ、あるいは備え付けの、ハシゴと言った方がしっくりくる階段で半地下へと下ると、重そうな木の扉が迎えてくれる。そこに至ってやっと《Ristorante delle Tartarughe》のサインがお目見えする。カメレストラン。その名の通り、カメが営むレストランだ。



 カランカランと小気味よいチャイムが鳴り響いた。
「いらっしゃいませ」
 現れたのは馴染みの顔二つ。
「こんばんは」
「よぉ!」
「エイプリル!ケイシーも」
 青いタイを締めたレジ番が、これまた青いマスクをなびかせてレジから出、にこやかに二人を迎えた。
 エイプリルはボルドーの髪をアップにまとめ、普段は丈の短いパンツとTシャツのラフな格好だが、今日はブラウスにジャケットを羽織っていた。ケイシーのほうも、カッターシャツにスラックスといういでたちで、ドレスコードという概念がこの男にも一応あったのかと、驚きを通り越して感心を覚えた。
 奥のドリンク・バーに入っていたもう一人のスタッフも二人を認めて手を振っている。こちらは紫のタイとマスクを締めていた。
「来てくれて嬉しいよ。席に案内しよう」
 レジ番兼案内役のレオナルドが二人の前に立って席へと案内する。ゲスト二人は店内のあちこち視線を巡らしながらレオナルドの後をついて行った。
 飴色のテーブルとイスに、レンガ造りの壁、床はモザイクタイル。天井からは透明な金平糖のような照明が下げられ、明るさを抑えた店内で煌めいていた。それほど広くもない店内をざっと見た感じ、席の三分の一ほどは埋まっていた。夕食には少し遅いこの時間帯と店がオープン間もないことを考えれば、なかなかの客入りだろう。
「お店、なかなかいい感じじゃない」
 席に着いたエイプリルが、メニューを差し出すレオナルドを見上げて微笑む。
「だな!ちょっと古めかしい感じもするけど、悪くないぜ」
「ありがとう。内装はドナテロがクラシックな感じにしたいって凝ったんだ」
 嬉しそうに答えるレオナルドに、エイプリルは「ただね……」と声を落として続けた。レオナルドと共にケイシーもどうしたんだ、とエイプリルの発言を待った。
「なんだかものすごく視線を感じるのよね」
 エイプリルは横目で後ろを伺った。あからさまではないが、盗み見るような視線が首筋辺りに投げかけられている気がした。
「そうかぁ? 自意識過剰ってやつじゃないか?」
 細やかな神経など持ち合わせていないケイシーは、豪快に笑い飛ばし、メニューを繰り始めた。しかし、それにカチンときたエイプリルがひと睨みしてやると、慌ててメニューに集中するふりをして押し黙った。あいかわらず余計なことを言わずにはいられない男だ。
「いや、気のせいじゃないと思う」
 レオナルドは申し訳なさそうに声を低めた。
「言いにくいんだけど、その……君たちが人間だから」
 そう言われて、エイプリルは店の客を改めて観察し直してみた。真っ青な肌にメタリックチューブのような髪の人型エイリアン、豚のミュータント、鼻の突き出た毛むくじゃらの生き物などなど、確かに自分と目の前の連れ以外に人間は見当たらない。
「ここは人間も《フリークス》も大歓迎だけど、やっぱり《フリークス》がやってる店には《フリークス》ばかりが集まって来るから……」
 申し訳なさそうな調子で、レオナルドは言葉を終わらせた。
 《フリークス》。地球外生命体やミュータントの存在を各国政府が認め、彼らが街を闊歩し始めたのはここ数年のこと。彼らの代表者が極めて穏便かつ友好的な交渉をかけてきたおかげで、大きな衝突もなく受け容れられたが、人の排他性とはいかんともしがたいもの。彼らを《フリークス》と呼び、蔑む者も少なくはない。『フリークスお断り』の店もあるのだ。そのため、自然と《フリークス》も人間を遠ざけ、独自のコミュニティを作り上げてきていた。人のコミュニティに《フリークス》が踏みこむことも、《フリークス》のコミュニティに人が踏み込むこともあまりない。テリトリーのようなものが出来つつあった。
「それでちらちらこっちを窺ってるってわけね」
「気分を害してしまったかな、ごめん」
「気にしてないわ」
「俺も全然だぜ」
 《フリークス》が認められる以前からレオナルド達と付き合ってきたこの二人には、《フリークス》だから、人間だからと隔たりを作ることなどハナから頭にない。
「それならよかった。それじゃあ注文をどうぞ」
 レオナルドは伝票とペンをサロンのポケットからとり出した。
 イタリア語混じりのメニューに頭を悩ませるケイシーを横目に、エイプリルはメニューに目を向けた。店内の落ちついた雰囲気からするとポップに過ぎるメニューのデザインに、なんだかちぐはぐな感じを受けた。オレンジのマスクをつけた彼がこれを描いたのは間違いない。いつもどおりのちぐはぐな四人をやりとりを垣間見た気がして、くすりと笑みがこぼれた。
 これはおいしくて楽しいディナーが期待できそうだった。なにぶん、ちぐはぐに見えてもチームワークはピカイチだということをエイプリルは知っているのだから。
 注文を取り終えて去ろうとするレオナルドの向こうには、トレイにドリンクを載せたドナテロがすかさずこちらにやってくるのが見えた。


 冷静なレオナルドと穏やかなドナテロの安定したホールチーム。それとは対照的に、熱しやすく賑やかなスタッフ二名が、厨房を担当していた。もともとホールよりも湿度温度共に高い厨房の熱気を、この二人が更に上げているのかもしれない。
「ラフー、それ味見してあげよっか?」
 それ、と明るい緑の指が指したのは、薄い黄白色のなめらかなティラミス用マスカルポーネ生地。屈強な濃緑の腕が抱えるボウルの中で撹拌されていた。
 先ほどまで鍋でパスタを湯がいていたと思ったのに、生地が完成したのを見計らってやってきたのか、とラファエロはミケランジェロの食欲に舌を巻いた。
「あとは型に流すだけなんでしょ? 味が整ってるか確認しなきゃ」
 目を輝かせてミケランジェロが見つめてくる。もちろん、ミケランジェロの熱い視線は、ラファエロではなく、ボウルの中身が一身に受けているのである。
「お前が食いたいだけだろ」
 ラファエロは呆れた視線を寄こしながらも、手近にあったスプーンで中身を掬って差し出した。食べさせるまでうるさいのはわかっているのだから、さっさと食べさせて黙らせるに限る。
スプーンに齧りつかんばかりの勢いで、ミケランジェロは食いついた。その顔はまさにこのために仕事をしてるようなもんだ、と言わんばかりの笑顔だった。
「ん~ファンタースティック!! さっすがラフ!」
「一度自分でも味見してんだからあったりまえだ! 文句でも言うようなら、その口抓ってやるとこだったぜ」
 ラファエロは悪そうに笑って軽口を叩くが、それが常の彼の態度なのはミケランジェロも分かっているものだから、「自信過剰~!」と茶化してコンロの方に向き直った。ラファエロが型にビスコッティ・サヴォイアルディを敷き詰めて、成形の準備に取りかかり始めると、ミケランジェロのほうからはフライパンをさばく音とニンニクの香りが流れてきた。空腹ではなかったが、ニンニクの匂いはどうしてこうも食欲を刺激するのか、と思わずにはいられなかった。
 しかしその強力な匂いも、アマレット酒入りエスプレッソをサヴォイアルディに注いだと同時に消え去った。
 と思ったのもつかの間。
「ラフ! 次はオイラのターン!」
 火から下ろしたフライパンを片手に、威勢のいいミケランジェロの声がキッチンに響いた。口元には、ずいと差し出されたフォーク。その先に巻きつけられたスパゲティからはニンニクとバジルのいい匂いが漂ってきた。匂いに反応して胃がぐぅと蠢いた。拒む理由はない。さぁさぁ味見しろ、と迫ってくるフォークを、ラファエロは咥えた。もったいぶって咀嚼してやると、焦れたミケランジェロが感想をねだり始めた。
「どう? どう? すんごい美味しいでしょ?」
 褒め言葉を期待するまなざしが、今度こそラファエロに注がれた。
「あー、まぁ、いいんじゃねーの」
「なにそれー!! 『まぁ』って何、『まぁ』って!! パーフェクトじゃん!」
 自分でもフォークに一巻きしたスパゲティを口にしながら、ミケランジェロが抗議の声をあげた。
「どっちが自信過剰だ。素直な感想を言ってやったんじゃねえか」
「だーってめっちゃおいしくできたのにさ! オイラのガラスのハートは粉々……」
 ミケランジェロはフォークを持った手を握り締めて、口元で震わせた。わざとらしく、ぐすんと鼻まですするありさま。大げさに傷ついてみせるミケランジェロに、鋼鉄の心臓をしておきながらなにがガラスのハートだと、文句を口にしようとした瞬間。
「お詫びにこれもらっちゃうもんねー!」
 エスプレッソが浸みてふやけてきたサヴォイアルディ一本が、横から掻っ攫われてミケランジェロの口の中へと消えて行った。
「あっ、てめっ! 勝手に!」
「慰謝料にしちゃ安かったかな~」
 指についたエスプレッソを舐めながら、してやったりの顔をするミケランジェロに、ラファエロの神経は大いに逆なでされる。
「お前のもよこせ!」
 フライパンの中のパスタを狙って襲い来るフォークを華麗なターンで避け、ミケランジェロは「残念でしたー!」と、ウィンクをオマケに笑う。
 いよいよラファエロの頭が熱くなってきたその時。
「お前たち! またつまみ食いしてるな!」
 温度の上昇した場の空気に冷水を浴びせるかのごとく、レオナルドの鋭い声が響いた。厨房は一瞬静まりかえったかとおもうと、すぐさま、また違った盛り上がりを見せ始めた。
「ち、違うよ、レオー! 味見してたの!」
「バクバク食ってたのはマイキーだけだぜ」
「あ、何? 自分だけ言い逃れしようっての? ズルイ!」
「ほんとのことだろーが!」
 またぎゃいぎゃいと言い争いを始めた二人に、レオナルドからはため息がもれた。再び雷を落とさねばなるまい。
「いい加減にしろ! 二人ともポイントつけておくからな」
 レオナルドがペナルティを言い渡すと、ラファエロからは舌打ちが漏れ、ミケランジェロはショックの表情を見せた後に萎れた。ペナルティ・ポイントが一番多かった者が週末に居残って掃除当番を科せられるのだ。
「新規客二名、エイプリルとケイシーだぞ」
「えっ! 二人とも来てんの!? あいさつしなきゃ!」
エイプリルとケイシーと聞いた途端にミケランジェロの顔がぱぁっと明るくなった。ミケランジェロほどではないが、ラファエロも「あいつら来てんのか」と、嬉しそうにしている。
「だめだ!」
 ぴしゃりとレオナルドが言う。
「ケチー! オイラだってエイプリルと話したいよ!」
「そんな暇ないだろ。見てみろ、この伝票。詰まってるじゃないか。3番テーブル、アンティ終わったぞ。プリモ出せるんだろうな?」
 レオナルドは『primo piatto』の部分が○で囲ってある伝票をひらひらと泳がせた。
「出せるよ! ジェノベーゼふたつでしょ」
 得意げに言って、ミケランジェロはフライパンの中の緑鮮やかなパスタを手早く皿に盛り付けた。
「だからさ、表出ていいでしょ?」
「だから、今はダメだ」
 作業台に並んだ伝票がレオナルドのグラスグリーンの指で示される。ずばりと却下の意を告げられて、ミケランジェロは頬を膨らませてブーイングを飛ばした。レオナルドの物言いは飾り気がない分、有無を言わせない雰囲気があって、なんとか覆そうにもブーイングを飛ばすのが関の山だった。
「おらっ、ブーブー言ってないで仕事しろ」
 頬を膨らませたままのミケランジェロの頭を軽くぱしんと叩いてやると、「いったいなー!お前に言われなくたってやるよ」などと文句を言いながらも動き始めた。食材を取りに冷蔵庫へと、それでものろのろ向かうミケランジェロ。
「これ、エイプリル達の伝票な」
 レオナルドは達筆な字の這った白い紙切れを作業台に置いた。ダメダメと少しきつく言い過ぎたかもしれない、とあまり浮かない顔のミケランジェロを見て心が少し痛んだ。少し迷って、「特別おいしく作ってくれよ、マイキー」とレオナルドは声をかけた。
「もっちろーん! ミケランジェロシェフに任せといて!」
 冷蔵庫に突っ込んだ頭をあげて、明るい声でそう言うと、ミケランジェロは自信満々に拳で胸を叩いた。
「俺はいいのかよ」
「もちろん、お前にも期待しているよ、ラフ」
 口元に笑みを残して、レオナルドは翻って、厨房とはまた違うにぎわいを見せるホールへと飛び込んだ。その背を見送って、ラファエロは白いクックコートの袖を捲り上げた。文字通り、これからが腕の見せ所だ。



G|Cg|C@Amazon Yahoo yV

z[y[W yVoC[UNLIMITȂ1~] COiq COsیI