Happy Charm
「はぁ…」
シェルセルを見つめてレオは今日何度目になるかわからないため息をついた。
「レオってば、まーた溜息ついてる」
「ごめん、マイキー。やっぱりショックでさ…」
シェルセルから垂れる青い紐。
その先には翡翠のチャームがついていた。
「すっごく大事にしてたもんね、そのストラップ」
「ウサギから貰ったものだったからね」
お守りに、とウサギがくれた翡翠の根付は亀がかたどられていてレオナルドのお気に入りだった。
それが昨日外で修行している間にちぎれて行方不明になってしまったのだ。
心当たりのある場所を隈なく探したが、結局見つからなかった。
「…でも、いつまでも落ち込んでてもしょうがないよな。ちょっと瞑想してくるよ」
心配そうな顔をするミケランジェロを後にしてリビングを出ようとすると、
赤いバンダナがひらりと下水に続く出口に舞うのが見えた。
「ラファエロ!」
あ、と思った次の瞬間には名前を叫んで走り出していた。
「どこに行くんだ?」
梯子に足をかけようとしていたラファエロはレオナルドを見て動きを止めて舌打ちをする。
「ケイシーんとこに遊びに行くんだよ」
「外に出るなってスプリンター先生が…」
「あーあーもう、うっせぇな!お前が黙ってりゃバレないだろ」
「そういう問題じゃないだろ!とにかく外には絶対行かせないからな!」
止めようとラファエロの肩に手をかけるとあからさまにラファエロの表情が歪む。
これは相当頭にきているところだろう。
「離せよ!」
ドンと突き飛ばされて無様にも地面に尻餅をついてしまう。
その隙にラファエロは梯子を上ってマンホールから外へと出て行ってしまった。
「ね~オイラもうお腹ペコペコで死にそう~」
哀れげな声を上げてミケランジェロがテーブルに突っ伏す。
「食事の時間くらいは守って欲しいよねぇ…」
ドナテロも多少イライラとしているようで、穏やかな口調に険を含ませている。
「すみません、先生。オレが止められていたら…」
リーダーとしての役目を果たせなかったことにレオナルドは深く落ち込んでいた。
スプリンターが先ほどから何も喋らないのもレオナルドの心を重くさせる。
扉が不意に開いてようやくラファエロが戻ってきた。
「やーっと帰ってきたみたい」
「も~おっそいよ!」
全員の顔がぱっと明るくなる。
だが、レオナルドだけは違っていた。
「ラフ!こんな時間まで一体何してたんだ!勝手なことばかりするなよ」
腕を組んで厳しい表情をしてラファエロを見据える。
「帰ってきて早々お説教か?」
「お前が悪いんだろ」
「何だと!?」
今にも取っ組み合いを始めそうな二人を見てドナテロとミケランジェロは肩を竦ませる。
「二人ともそこまでじゃ」
今までずっと黙っていたスプリンターが声を張り上げる。
「先に食事を済ませよう。ラファエロ、お前は後でわしの部屋に来るように」
しぶしぶといった様子でレオナルドとラファエロは離れ、席についた。
その後の夕食は嫌な空気のまま終わった。
食事の片付けを終えたレオナルドはソファに座って付けっぱなしのテレビの画面を眺めていた。
ミケランジェロは自室でコミックを読んでるし、ドナテロも新しいメカの開発のために自室に篭りっきり、
ラファエロはスプリンターの部屋で説教されているのだろう。
一人きりになると色々と嫌なことが頭を巡る。
みんなを纏めなければならないのに、ラファエロを止めることすらできない。
リーダーとしての資質が自分にはないのかもしれない。
自分がひどく情けなく思えてレオナルドは膝を抱えて俯いてしまった。
テーブルの上のシェルセルが目に映る。
ウサギの優しい顔が思い浮かんで無性にウサギに会いたくなる。
ああ、でも折角くれた翡翠の根付を失くしてしまったんだ、と申し訳なさが沈んだ心に追い討ちをかける。
長いお説教を終えてラファエロがスプリンターの部屋から出てくると、
レオナルドがリビングのソファに一人で座っていた。
手にしたシェルセルを眺め、大きなため息をついている。
その表情はひどく悲しそうで、それがラファエロの心を掻き乱す。
ウサギに貰ったものをレオナルドが後生大事にしているのを見た時にも何故だか腹が立ったが、
それを失くして心底落ち込んでいる彼を見るのはそれ以上にイライラとした。
「たかがストラップなくしたぐらいで大袈裟なため息ついて女々しいやつだな」
憎まれ口を叩くつもりはないのに、素直じゃない口からはそんな言葉しか出てこない。
「煩い!たかがストラップじゃない!あれはウサギがくれたんだ!」
弾かれたようにレオナルドが顔を上げてラファエロを睨む。
「そんなにウサギが好きかよ!」
「ああ、好きだね!悪いか!!何なんだよ、お前は!いっつもそうやってオレに突っかかって!」
「突っかかってくるのはお前だろ!優等生ぶりやがって!」
「お前が勝手なことばかりするからだろ!」
「俺はやりたいようにやるんだよ!偉そうに指図するなよ!」
「リーダーとしてお前の勝手を見逃すわけにはいかないんだ!」
「なにがリーダーだ!リーダーなんて必要ねぇ!!」
売り言葉に買い言葉。
言ってしまってから『しまった』と思っても撤回などできない。
レオナルドは半開きの口のまま押し黙ってしまった。
そしてきつく拳を握ったかと思うとラファエロを押し退けて自室へと走り去ってしまった。
「あーあーさっきのは言い過ぎでしょー」
呆然としていたラファエロの耳に癪に障る声が聞こえてきた。
「ドナテロ!いつからそこにいやがった!」
「結構前からいたよ?煩くって研究に集中できないんだよねぇ」
はぁ、とこれ見よがしにドナテロはため息をつく。
「それにしても、必要ないなんて言われてレオが可哀想だなぁ。部屋で泣いてたりして」
自分でも言い過ぎたと思っているラファエロは何も言えない。
ラファエロをからかいながらドナテロはグラスにオレンジジュースを注ぐ。
「ラフも部屋に戻って頭冷やしたら?頭に血がのぼり過ぎると血管プッツンしちゃうよ」
「てめぇ、わざわざそんなこと言いにきたのかよ」
「まさか。傷心のレオを慰めてあげようかと思ってねー」
「レオのことは僕に任せてゆっくり休んでね」と楽しそうに言ってオレンジジュースの入ったグラスを二つ持ったままドナテロはリビングを後にしようとする。
ラファエロは慌ててドナテロの肩を掴んで止める。
「お、おい!ちょっと待て!」
「何?」
「何じゃねぇ!何でお前が行くんだよ」
「何で行っちゃダメなの?」
逆に訊き返されてラファエロは答えに詰まる。
どうしてダメなのか分からない。
わからないが、ドナテロがレオナルドの元に行くのは嫌だった。
「とにかく行くな!」
「だから何で?」
「……俺が行ってくる」
「またケンカするんだろうしラフこそ行かないほうがいいんじゃない?」
「しねぇ!………ちゃんと…謝ってくる」
自分の非を認めることにあまり慣れていないラファエロは躊躇いながらも自ら謝りに行くことにした。
そうでもしないとドナテロは納得しそうにない。
「じゃあ、僕が行かなくてもいっか」
ドナテロは仕方ないという風に肩を竦めた。
「ちゃんと謝るんだよ。それからあれも渡してきなよ」
「うるせぇな」
ラファエロは悪態をつくとそのままレオナルドの部屋へと向かった。
その後姿を見送ってオレンジジュースを一口呷ると「本当に世話が焼けるね」とドナテロは呟いた。
レオナルドはベッドに伏せってラファエロの言葉を頭で反芻していた。
必要ない、その言葉はレオナルドが密かに恐れていたものだった。
自分では家族のためにと思っていても、だれもそんなもの必要としていないのではないか。
ただの独り善がりだったのかもしれない。
頭を強く殴られたような気がした。
コンコンとノックが響く。
起き上がってベッドに腰をかけながら「どうぞ」と声をかけるとゆっくりとドアが開かれた。
そこには気まずそうな顔をしたラファエロが立っていた。
「あーっと…入るぜ」
目を宙に泳がせながらラファエロが部屋に入ってくる。
ドアが閉められて真空パックにしたかのような息苦しい空間が出来上がってしまった。
一体ラファエロは何しに来たのだろうか。
気まずい沈黙が場を支配してしまって、身動きさえも許されないようだ。
「…悪かったな」
沈黙を破ったのはラファエロだった。
「さっきは言い過ぎた。こう、頭に血がのぼっちまうとまともに考えられなくなるんだよ」
「ラフ…」
「必要ないだなんてこれっぽっちも思ってねえ。本当に悪かった」
ラファエロが頭を下げる。
その真摯な態度と言葉に沈んでいた気持ちがどんどんと軽くなっていくのを感じた。
「いいよ、ラフ。オレも大人げなかったんだ。仲直りしよう」
レオは立ち上がって右手を差し出した。
「そうだな」
ラファエロがニッと笑って差し出された手をとる。
てっきり握手するものだと思っていたレオナルドは戸惑う。
「これ、やるよ」
そう言ってとったレオの手に何かを握らせる。
「え?」
開いた手のひらには瑠璃の亀が載っていた。
「これ…」
「お前が落としたやつを一日中探し回ったんだけど、結局見つからなかったんだ。
で、エイプリルの店でこれ見つけたから代わりに貰ってきた。大好きなウサギからじゃなくて悪かったな」
ラファエロが照れくさそうに視線を逸らして話す。
「いや、嬉しいよ。ありがとう、ラフ」
にこりと笑ってお礼を言うレオナルドを見てラファエロの顔がさっと赤くなる。
「今度はしっかり結んどけよ」
「ああ、そうするよ」